新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
ホームページやブログ、update & modify したいなと思いつつ、なかなかできずじまい...少々悶々としていますが...頑張りますネ
ちなみに我が家の年賀状は...
http://www.jubi-net.com/takashima/nenga/
↑こんな感じ♪
文学は数学であると思う。
案の定誤解されている。
文学は数学であるとは、文学が数学的性質を内包していると言う意味です。
少なくとも数学的の取り扱いを認める学問であると思います。
この考えを発展させれば、広辞苑の言葉、一つ一つに数学項が付設されるであろう事が想像出来る。
●大体において文系と理系の間に垣根を設ける必要はないと考える。
半分賛成、半分反対!?こんな感じの私がいます。「数学は文学である」「数学には文学的要素が含まれる」と思います。
ベースにあるのは文学、そして上に数学、さらにその上に物理、化学、生物学などがあるのかな、ってイメージしています。
以前、非常勤のお仕事をしているときに、法学部、経済学部、文学部など、多くの学部の方と触れ合う機会がありました。法学部は法律と言うルールを重んじるので、かなり理系の考えに近いと感じました。文学部は感性の世界なのですが、それも人それぞれ。
文系と理系の垣根はないと感じました。
いつもご丁重なご意見ありがとうございます。
いえいえ、どう致しまして。今後ともよろしくお願いします。
化学工学といっても今や他分野との境界域に広がって、
隠居の身では今は昔の世界ですが
日本に戻って来た時に時折拝見するだけなのですが
このBBSが化学工学を考えているのですか?
OBに紹介していただく要するに大学教授と称する知識人も
日本の場合は「かなりレベルが低い」です。
もう日本で「化学工学」という学術的テリトリーは存在しないと思ってしまいます。
正直申しまして、別にこのBBSで化学工学を考えよう!と言う大それた趣旨ではありません。化学工学に関係する情報サイト、何かないかと検索してみますと、ないですよね、困ったことに。じゃぁ、作ってみようかな、こんな感じで始めたサイトです。この掲示板も、化学工学以外のネタも大歓迎です。
世界標準に比べて日本の化学工学は「レベルが低い」とのこと、具体的にどのような点でそう感じられるのか、ご意見いただけると、今後の参考になります。
テリトリー...確かにないかも知れませんね...。
隠居だから、化学工学への激励と考えてもらっていいです。ただ、大学教授・・といってもプロパーじゃなくて
ある国立の外郭研究所からの人ですが、
数学を知らなすぎるのには呆れました。
どちらかといえば研究費を配分する役人です。
よく投稿されている人のようにガウスのような数学者になれとは言いませんが、
やっぱりよく使う部分の数学は理解しておいて欲しいものです。
米国しか知りませんが、学費が高い分、学生はよく勉強しています。
摂食制限があるため、食欲の秋の日本に戻ってもうまいものが食えないのが残念です。
隠居のじいちゃん
2013/11/02(Sat) 09:03:54 No.1516
数学を知らない...なんとなくですが、わかるような気がします。正直、これって、日本の教育システムがよろしくないからのような気が致しますが。昔、化学工学ではないですが、他学部の大学院生に真顔で「積分のウナギの記号って、どんなときに使うんですか?」なんて質問をされたことがあります。
熱く、「掛け算するってことは積分なの、割り算するってことは微分なの...」って語ったのですが、ほとんど理解して貰えませんでした。後で知った話ですが、この学部は入試で微積が不要とのこと!?びっくりです。
私のような若造でも、周囲に国語と数学の力の無い方が多いのに驚愕することが多々あります。
なるほど、高い学費であると、その元手を取ろうとするから、必死になるのかも知れませんね。
積分の記号を知らないような、例外的な低級な学生は論外だと思います。強調のためにこう言う例示の仕方はしばしばありますが、一般的の例にしては拙いと思います。
何せ、入試で微分積分が範囲外と言うところも少なくないので、学生だけのせいにしてしまうのは可哀想かと思います。むしろ、学生は被害者。教育って国の根幹を支配すると思うのですが、どうも、時間をかけた議論は行われていないように感じてしまいます。
なんでも、センター試験廃止、人物重視の入試へ、なんてニュースが出ていますが、どうなんでしょうね??人物重視なんて言っても、せいぜい数回の面接で終わってしまいますし、そんなのでわかるわけないですし。
万葉、和歌を古文体、文語体で創ってみようではありませんか。
われわれにもそのような智力、技力はあると思う。
実際に創ってみて奥がわかると思う。
なんだか面白そうですね。と言いつつ、イメージが完全には沸かない私がいます。
例えばこんな感じ、のようなものがあると助かります。
洋泉社MOOKが出版している本で
”百人一首の世界”に続き
”万葉集を旅する”を手に入れた。
万葉集を精査している内に気付いたことで、私は教育環境に恵まれていたことを。
万葉集に接したのは、高等学校で国語乙(国語乙は古文、国語甲は現代文)の時間が最初であった。
その時の情景がいまでも鮮明に思い出される。
奥の細道と共に深い感銘を受けながら学び行っていた。
一首毎に勉学に励んでいた自分のことを思い出す。
やはり授業と言う人生への作用素は看過できない。
姫路の学校の豊かな教育環境が自分にとって非常に実り豊かな人生を与えて呉れていることを知る。
ご紹介ありがとうございます。教育環境って重要だと思います。私も今、振り返ってみますと、"先生"に恵まれていたと感じます。また、今、部下に注意していることって、昔、先生から注意されたことばかりだったりもして(苦笑)
百人一首や万葉集の世界、奥が深いですよね。あの短い文章を読んだだけで、不思議とその風景が脳裏に浮かぶんですよね。
芸術の域ですね。
最近手に入れた本の中から。
1。星座と神話がわかる本 学研
2。美しい鉱物 学研
3。百人一首の世界 洋泉社MOOK
4。現代化学史 副題 原子・分子の科学の発展 廣田 襄著
何れも布団に横になって眺め読むに適している。
本の紹介なんて言う人もいると思うが、上記は何れも私に精神作用を及ぼした本たちである。
御参考までに。
もう少し、詳しい情報を頂けると助かります。「精神作用を及ぼした」とのことですが、どんなときに、どの本が、どのように影響した、なんて話があると素晴らしいですね。
私は最近読んだ本では、(化学工学ではないのですが)「オトン、サッカー場に行こう!」と言う本が好きです。
今、J2にいるギラヴァンツ北九州がJFLと言う下位リーグにいるときの話で、元北九州市民としては、共感せずにはいられない一冊です。
父と息子の関係、北九州と福岡(博多)と言うライバル関係などなど、いろんなバランスがベースにあって、サッカーなんか知らなくても、十分楽しめる本です。
誰でもガウス、オイラーに成れる。
ひらめき、着想を安易に放棄しないことだ。
発展させることだ。着想が山積みになったら課題をメモにとるぐらいはしておこう。
自分の記憶力を過信してはならない。
私の経験では記憶塊において、3塊ぐらいは記憶していても、その内の一塊くらいは一時的にせよ忘れてしまう。
記憶を増やすと漸次忘れてしまう。
残念に思うことさえある。
ひらめき、着想を発展させるとき希望の灯りが見えてくる。
ガウス、オイラーも自身を天才とかは意識していないだろうと思う。
ひらめき、着想を発展させていると膨大なデータ量になり、混沌としてくる。
それこそ勿体ない限りである。
着想に至った、着想を発展させている人のこの時を、第三者の方は阻害因子になってはいけない、あるいは摘み取ってはいけない。
パクリなんて以ての外である。
天才と非天才とは紙一重にして、しかも連続している。
哲学することを忘れた大人、つまりおっさん、おばはんほどつまらない、貧しい者はいない。
何せ今の日本って、怖いくらいの平等意識が蔓延っていて、競争することが悪とする風潮さえ、一部にあるように感じます。突拍子もない発想をすると、それを良しとしないような風潮も...。
アイディアを摘み取って成長させない風土が、まだ残っているのかも知れません。
日本からiPhoneが生まれなかった理由はそれなのかな、って書いていて思いました。
平等意識を持とうとしている一方で格差意識、差別意識も増長しょうとしている。何かの因縁で固まろうとしている。排他的風潮も見られる。私の場合では、スポーツは余りやらなかったし、参加意欲も持たなかった。
それでグループ行動もしなかった。部活なんてやったこともない。
何だか別世界の人たちを見ている感じでいた。
それは今も変わらない。
私はスポーツと言っても、テニス部でしたので、戦術とかチームワークと言う部分の発達が不十分だったかもな、と思うことも...(^_^;)とは言え、スポーツを通じて得た教訓、体験と言うのは非常に大きく、後々の研究者生活に多大な影響を与えたのは間違いありません。
何せ世間ってのは、そもそもでっかいグループで存在しているので。
まぁ、ヤレ派閥だの、なんだのと、要らぬストレスも生じるものですが、マイナス面よりもプラス面の方が多いように感じます。ま、人は一匹狼では生きられませんし。
一匹オオカミとはどう言う状態なのですか?
一人でなんでもしたがる...と言うか、一人でなんでもできていると思い込んでいる人、と言う意味で書きました。結局の所、社会と言うのは相互に多かれ少なかれ影響し合っていて、好きなことも嫌いなことも複雑に絡み合っていると思うんですよね。経済って、正にそうじゃないですか、巡り巡って良い景況だったり、悪くなったり...。
お高い影響し合っていることに感謝しないと。
一匹狼も悪くはない。一匹狼で居られるならば。
自信と実力の現れならば。
仲良くやってるなんて聞こえはいいが、大抵は非実力者に過ぎない。
一匹狼でいられるなら、悪くはないと思います。あくまで、そういられるならと言う不可能と断言できそうな大前提での話ですけど。経済と言うのは、お互いに影響し合い、助け合ったり、時には悪い影響も及ぼしつつ、循環しているものです。
誰かがつくった農産物を、誰かが運んでくれて、誰かが店頭に並べてくれたスーパーで購入する...やっぱり、一匹狼なんて成立しませんよね。
真の自身と実力があるなら良いですが、見た目だけ、プライドだけの"ナンチャッテ"だとすると、悲しいを通り越して空しいだけです。
